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した。志望者がたくさんいるので合格は難しいと思いましたが、試験だけでもと思い受けさせました。半月後に合格の通知があり親子ともども夢ではないかと喜びました。「長い間、暗い宿命に翻弄されてきた我が家にも春が訪れたのね」と主人と喜びあいました。
六十三年七月、恭正は懐かしい母校で心機一転、理容助手として勤務しました。職場では先生方からいろいろとアドバイスがあり、将来のために大学の通信教育で教員の資格を取るように教えられました。そして翌年の四月、夢に見た憧れの大学へ入学したのです。
このことは、かって恭正に高等部を卒業したとき突然、「普通の高校に行かせてほしい。できれば大学にも」と言われ、私は一瞬うろたえました。「今の学力でどうして大学なんかに。好きや、だてに大学なんかにやれない。大学を出て就職もできなかったら、将来どうしてご飯を食べていくのか。理容科を卒業したのだから初心を貫くのが一番です」と、私は力を込めて言い切ったのです。
私の意気込みに恭正は駄目とみたのでしょう。その後、一度もこのことを口にすることはありませんでした。いま思えば、恭正の頭の中では葛藤が続いていたのだと思います。私の障害者に対する認識不足が夢をかなえてやれなかったのです。
それどころか、恭正に心のどこかでいつも、「障害者の烙印を、親が自ら押し続けてきたのです。限りない可能性を秘めている子供の芽を、障害という二字で押し潰してきたことが、無能な親として申しわけなく悔やまれてなりません。
恭正は一度も私たちを責めることなく、ハンディを力に変えて、いつも明るく勤めながら勉

 

 

 

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